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文化を創るということ

ジェイミー・オリヴァーの試みも厳しい状況にあるらしい。

asahi.com:シェフの味、生徒「もの足りない」 英で給食離れ教育:

英国で政府が給食の質の向上に乗り出したが、かえって給食離れに拍車をかける結果になっている。有名シェフの呼びかけに応えて新基準をつくり、1年前から献立の充実に力を注いだ。健康的でおいしくなったはずだが、「なじめない味」と敬遠されたらしい。

習慣を変えることは,個人のレベルでだって,相当難しいし,根気がいる。
「食べたくなければ残してもいい」という環境で育ってきた子供たちは,好きなものだけを選んで食べるようになるだろうから,彼ら(彼女ら)のその「嫌いなものは食べない」という習慣を変えるには,学校給食だけの取り組みではなかなか続かないのだろうと思う。

ジェイミーの試みは,イギリス人の生活習慣を変える試みでもある,という観点でのサポート・協力が必要なんだろう。

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先日,子どもが生まれた友人は,イベントプロデュース会社を経営している。
人生で起こるさまざまなイベント(ライフイベント)において感動を提供すること,そしてとくに「人生最後のイベント」である葬儀において,もっと故人らしさを伝えられるような形を作っていきたいと起業した。

自分はこんなふうに送ってもらいたい ーーー そういう故人の気持ちを実現できるような葬儀を作りたいという試み。

「自分の望む葬儀のカタチ」
これはある意味で,文化を創ることに近いと,ぼくは考えている。

自分の葬儀の話しというのをおおっぴらにすることは,まずないと思う。
縁起でもないし,聞かされる方も微妙な気分になる。
最近は,散骨や密葬というカタチをとることを遺言で残すというひともまれにあるけれども,まだ一般的とは言えない。

多くの場合は,遺族が,「そうであったろう」故人の遺志を尊重することになる。
もっとも実際には,葬儀社のラインアップから選ぶことになるのだろうけれど。

その意味で,多くの葬儀はセレモニーに如(し)かない。
葬儀とは,空しくなる自分から送る,最後のメッセージだと思う。そうであればいいなと,ぼくは思う。
「ENDING NOTEBOOK」(エンディング・ノート)という考えがある。
自分が亡くなったときに,誰に知らせてほしいか,どんなふうに送ってもらいたいか ーーー そんなことを記入して残しておくノートのこと。
これはまさに,メッセージを残す媒体である。
つまり「自分の望む葬儀のカタチ」とは,それを通して,何かを伝えるメッセージだと思う。

これは多分に,彼に影響を受けて考えるようになったことだろう。
ぼくは彼の情熱に対してある種の憧憬を抱いている。彼の真摯さをおおいに尊敬している。彼の行動力を見習いたいと思っている。
だから,新しい葬儀のカタチという文化を創る彼の試みを強く強く応援したい。

彼の試みは,ジェイミーのそれに負けず劣らず,難しく根気のいる作業だろうと思う。
でもだからこそ,彼はそれに挑むのだろうと思っている。そういう男だから。

Go as far as you can see; when you get there you’ll be able to see farther. (Thomas Carlyle)
遠くまで,遠くまで,見遙かせる限り遠くまで行きなさい。そこにたどり着いたら,もっと遠くが見渡せるでしょう。

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そんな彼の会社のすぐそばに,こんな施設ができたという記事があった。

ゆとりある「スローな葬儀」を青山にギャラリー併設の葬儀ラウンジシブヤ経済新聞:

ゆとりのある「スローな葬儀にしませんか」——これまでの葬儀の概念を変え、過剰な演出や出費を抑えた新たな葬儀スタイルを提案する新拠点が10月31日、青山・骨董通り近くの一角にオープンした。

Filed under: Life

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