「人は人を信じられるのか」ということでいえば,「無条件には信じられない」というところが,監査の存在意義でしょう。
isologue – by 磯崎哲也事務所|監査法人の内部統制(あるいは「人は人を信じるとはどういうことか」):
「自由な心証」に基づいて個々の会計士が独立して監査意見を表明する、というのも、それはそれで意味があったんじゃないかと思います。
そして,まさに「パートナーがパートナーを信じられない」から内部審査が必要であり,
「会計士協会が監査法人を信じられない」から公認会計士・監査審査会が必要なのでしょう。
古き良き時代(があったのかどうかは知りませんが)であれば,
あるいは,
となりの部屋の会計士さんがどんなクオリティの監査をしていようが,こちらが責任を被るリスクはないという時代であれば,
「自由な心証」に基づいて個々の会計士が独立して(勝手に)監査意見を表明する,というのも,それはそれで「どうぞご自由に」ということであったのでしょうが,
適正意見表明後に粉飾が判明したとか,突然倒産したとか,コンプライアンスだとか内部統制だとかが問題になる時代にあっては,「おたくの責任をわたしが被るなんてまっぴらご免だ」というところでしょう。
だから,しきりと,監査法人の社員の有限責任制導入と言われるわけです。
そもそも,信用おけないひとを「パートナー」なんて呼ぶのは,どうかと思いますが,
監査法人ではしばしば,代表社員のことを「パートナー」と言います。
ディスクロージャーの要である監査法人自体は、ディスクロと正反対のブラックボックスそのものという印象です。
おっしゃる通り。
そして会計士(Accountants)ほど,説明責任(Accountability)を果たしていない,というのが,
かつて監査法人にいて,かつ,いまも会計士として糊口をしのいでいる人間の自戒を込めた考えです。
「この会社について適正意見を表明するための合理的な根拠は?」
と問われて,「わたしの心証です」以外の合理的な説明をできる監査人は,なかなかいないと思います。
それはひとつには,監査対象としての会社の規模があまりに大きくなりすぎて,全容を把握できる合理的な規模を超えていることもあるし,
試査だ,統計的サンプリングだ,分析的手続きだと考え方を整理したところで,監査の手法自体が属人的なところから抜け出せていないこともあるでしょう。
先日出席した会計士協会の研修では「リスク・アプローチだけが,唯一の監査方法です」という話がされていましたが,リスク・アプローチも導入後,少なくとも10年は経っていると思われます。
「リスク・アプローチ?どうやるんですか,それ?」というのが実際のところのようですが。
昨今の大手監査法人と言うのは、良い意味でも悪い意味でも「人間的な」つながりはあまりなく、純粋に教育や規定といった「内部統制」だけで繋がっている組織になりつつあるような印象があります。
ぼくの抱いている印象でいうなら「顔を知っている範囲の」つながりはありました。
逆に言うと,「顔を知らない」ひとは,同じ組織のひとではない。
その意味で,「ナントカ監査法人」という看板を掲げている,
「看板」だけで繋がっている個人事務所の集合です。
そして,それはずっと前から,そう(だと思う)。
あらた監査法人がみすず(旧中央青山)監査法人から分裂したときに,代表社員も含めて,一定数の人員が確保できたのは,中央監査法人と青山監査法人が合併して中央青山監査法人になっても,内部ではやっぱり「旧中央」とか「旧青山,旧PW」とかいう区別が残っていたから。
そして,とくに「旧青山」のひとたちは,「自分たちは彼ら(旧中央)とは違うんだ」とずっと考えていたからだと思います。
みすず監査法人が「旧中央青山」と言われることが多いのに,あらた監査法人がそう言われないのは,あらたが「旧中央青山」ではなく,「旧青山」だからでしょう。
まことしやかに言われているのは,トーマツ監査法人は「旧青山」的な雰囲気がある,ということ。
そして,「みすずの古参の方」は,旧中央の方で,
「トーマツ?青山っぽいんだろ?とんでもない!もうあんなヤツらはご免だ」
と思われたのかもしれません。
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